[公開記事] 長く活動を続けるために最近心がけていること

最初はいつも通り限定記事にしていたのだが、たまにはいいかなと思って公開記事にしてみることにした。

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奈良ミュージックデザインを作って、おかげさまでもうすぐ4年半になる。

株式会社ではないので、起業というほど大層なものではないかも知れないが、新しい会社が3年続く確率が50%ぐらいと言われているので、今日までなんとか続けられていることには感謝しかない。

もちろん、ひとえに応援してくださっている皆さんのおかげなのだが、ここまで続いているのはもう一つ大きな要因があると思っている。それは氷置と中村さんの価値観のアップデートだ。

今日はこの「価値観」についてお話ししていきたいと思う。一部、当時の中村さんへの苦言のような文章になるかも知れないが、このブログはちゃんと本人の監修のもと書いているので、その点はご心配なきようにお願いしたい(笑)

さて、「音楽が好き」という共通点こそあれど、氷置と中村さんは育った環境も、それまで身を置いていた環境も全く異なるので、価値観も大きく違った。もちろん今でも違うし、他人である以上は当たり前だ。

なので、今でこそたまに些細な言い争いをするくらいだが、初期の頃は「会社の存続の危機レベル」の大きな衝突が、本当に頻繁にあった。

具体例をあげたいと思う。

自分はフリーランスとしてずっと音楽の仕事をしていたので、いつどこにいても「自分が看板」という意識で生きていた。どういうことかというと、一歩家の外に出たら、氷置晋は個人である以前に「商品」でもあるという認識だ。

なので、人の目を常に意識しているし、「いつどこで誰に見られているかわからない」という前提で生きている。

息苦しいと思うかも知れないが、音楽活動をするようになってからはずっとそのように生きているので、何も苦痛に感じたことはない。むしろそういう生き方をしていないと気持ち悪い。

どういうことかと言うと、たとえば「外で人の悪口を言わないようにする」というのは誰でも当たり前だと思うが、自分の場合は、誰かの具体名を出すことさえほとんどしない。たとえその人のことを良く言っている場合であってもだ。

会話というのは他人には断片的にしか聞こえてこないので、たとえそうでなかったとしても、悪口を話しているように聞こえてしまう可能性があるからだ。なので、個室以外では誰かの名前自体を極力口にしないようにしている。

外で誰かの名前を口にするというのは、その内容の如何にかかわらず、自分の商売にとってマイナスになることさえあれど、プラスに働くことなどほとんどないというのを直感的に理解しているのだと思う。

「氷置さんがあなたの話をしていましたよ」と本人の耳に入れられたらどうだろう。もし、その人のことをベタ褒めしていたとしても、耳に入れられた本人からしたら「悪口を言われていたのかも知れない」と不安になるかも知れない。そういう可能性を常に考えながら生活している。

これはほんの一例だが、常に他人の存在を意識して生きるというのはこういうことで、自分にとっては当たり前だった。

会社を始めた頃の中村さんは、恐らくこういう生き方はしたことがなかったので、それこそ2日に一回ぐらいの頻度で衝突していた。そのうち週に1回ぐらいは、本気で会社存続の危機になるくらいの激突が繰り広げられていた。

自分は普通に就職したことがないので、これは偏見かも知れないが、組織で働く人というのは概ね、会社を出たら「仕事モード」でなくなるように思う。

自分のようにフリーランスで生きていたり、自営業で生活している人はそもそも「仕事モード」と「プライベート」の境目がない場合が多いので、家を出た瞬間から「仕事モード」なのだが、中村さんはずっとサラリーマンだったので、そういう感覚には慣れていなかったのだと思う。

なので、事務所を出た瞬間、「奈良ミュージックデザインの代表」ではなく、個人としての「中村千紗」になってしまっていた。

外では明らかに油断していたし、迂闊な言動が目立ったので、「常に奈良ミュージックデザインの代表としての自覚を持って生きてくれ」と自分が注文し、それに対して中村さんも反発するので、衝突が延々と繰り返されていたわけだ。

また、その頃の中村さんは感情のコントロールが明らかに苦手だった。

とにかく頻繁に衝突していたので、衝突した5分後に大事な打ち合わせを控えていたりすることもあったのだが、そういうときは打ち合わせが始まっても第三者の前で不機嫌な態度を隠せていないので、見ていて冷や冷やすることも多かった。

そしてそのたび、打ち合わせが終わってから「なんで顔に出すんだ」とまた衝突するわけである。

意外かも知れないが、奈良ミュージックデザインは最初の1年か2年ぐらい本当にこんな感じだった。もちろん目指している方向は同じなので、不仲というわけではなかったのだが、お互いに価値観が違いすぎて常にピリピリしていた。

ただ、当時の自分は「自分のやり方が絶対に正しい」と思っていたので、衝突のたび、「中村さんの価値観を、自分の価値観に合わせさせる」ということしか頭になかった。

それが間違いだということに気づけるようになるまでに、自分も2年ほどかかった。

人の価値観を他人が無理やり変えることなど不可能である。価値観が変わるのは、本人が自分で必要だと本気で感じたときだけだ。

自分の方が口から言葉がすらすら出てくるタイプなので、衝突が起きるともちろん中村さんも何か反論しようとするのだが、それ以上の言葉で制圧するという形だった。さらにたちが悪いのは、自分は恐らく「相手を論破する」ということに快感さえ覚える性格だった。

なので「中村さんにも中村さんなりの主張がある」という当たり前のことになかなか気づけなかった。

思えば昔から、誰と衝突するときでも「相手の反論を聞く前に口数で言いくるめる」というやり方で自分の主張を通す性格だったので、自分に「人の話を聞かない」という致命的な欠点があるということに気づいたのは、本当にここ数年の間のことだ。

なので、自分で言うのもなんだが、そこに関してはかなり変わったと思う。最近では何かあると、自分が口を開く前に、相手の主張を一通り聞くようにしている。逆に、誰かが話しているのを途中で遮って口を開いてしまう人(過去の自分のやり方)などを見ると、残念に思えるようにさえなった。

「大人になってからも価値観は変えられるんだな」と身をもって実感している。

中村さんも、奈良ミュージックデザインの代表として仕事をしているうちに、常に仕事モードで生きた方が自営業には有利だと言うことが感覚的にわかってきたらしく、2年ほどで衝突は劇的に少なくなった。価値観は他人から無理やり変えさせられるようなものではなく、必要があれば自分で気づいて勝手に変わっていくものだということだ。

さっきも言ったように、上に挙げたのはほんの一例で、この4年半の間にアップデートした価値観はまだまだたくさんある。

たとえばお金に対する価値観もそうだ。

自分は基本的に「お金を払っている側が上の立場である」という認識で生きてきた。だからといって別に店員さんに偉そうにするとか、そういう低俗な話ではない。

表面上はもちろん、商品や技術を提供する側と、金銭を支払う側との関係は「対等」だとは言うものの、それはあくまでも大義名分で、本音では「金銭を支払っている側に最終決定権があるに決まっている」という認識だったということだ。

どういうことかというと、たとえば(あくまで「たとえば」の話である)コンサートの開催に際して、ミュージシャンを雇うとする。いいコンサートにしたいので、お互いプロである以上、時には意見が衝突することもある。

そういうとき、「どちらの意見が適切か」ではなく、自分がお金を払って雇っている側なので、「最終的な決定権を持っているのは自分だ」と強気に出て自分の意見を通したりする。多かれ少なかれ、自分はそういう性格だった。

仕事というのは本来、お互いにできることを与え合ってWin-Winでなければいけない。自分にできないことがあるから、それを補うためにミュージシャンの力を借りるのであって、その分金銭という対価を支払うことで、相手の技術をお借りするわけである。そこに上も下もあるわけがないし、それはどんな商品やサービスでも同じはずだ。

そういう当たり前のことに気づいたのも、つい最近である。

自分と中村さんはお互いにあまり感情的にならず、どちらかといえばとことん話し合う性格なので、最近は相手の考え方や言動について違和感があれば、冷静に議論することが多い。

「なぜそれを問題だと思うか」という問題提起から始まり、「こういう背景があってこういう考え方に至っている」など、いわばプレゼンとレスポンスの繰り返しだ。3時間ぐらい話し合うこともある。

それは別に相手の価値観を変えようとか、そういう目的の議論ではない。それが無理だということは最初の2年で学んだ。

議論というより、価値観の「シェア」と言った方がむしろ近い。そして最終的に目指すのは、お互いの価値観の「アップデート」である。

「こういう時、自分ならどう考えるか」をプレゼンし、「そういう風に考えるのはなぜか」と逆に質問したりする。そういうことを繰り返すうちに、自分でアップデートが必要だと思えば自然に変わっていくし、変えるのは無理でも歩み寄りの方法を考えたりする。

そんなことを繰り返す中で、たとえば自分のお金に対する価値観なども、徐々に変わって(修正されて)いったのだ。

完璧な人間などいないし、完全無欠な価値観など存在しない。多かれ少なかれ、誰しもが偏っているものだし、正義というのは立場や状況によって180度変わる。

自分は「自分が信じている価値観に間違いなどあるはずがない」と思って生きてきた。こう言うと「なんて極端な」と思うかも知れないし、自分でも傲慢だなと思うが、実はそういう人は意外と多いんじゃないかと思っている。むしろ、無自覚なだけで人はみんな大なり小なり「自分が正しい」と思って生きている。

奈良ミュージックデザインを始めて、いろんな人の価値観に触れて、中村さんとの議論も重ねていくうち「もしかしたら自分の考え方は間違っているかも知れない」と常に疑問を持ちながら生きるようになった。

また、自分とは考え方が違っても「その人にとっては正しい」と受け入れる努力ができるようになった。もしかしたらこれが、この4年半の間に得た一番大きな財産かも知れないと感じている。

最後に一つ、奈良ミュージックデザインを続けていく上で、自分と中村さんが共通して大事にしている考え方がある。それは「人間、得意なことと不得意なことがある」というのを認めるということだ。

一見なんのことかわかりにくいと思うが、要するに「相手に期待しすぎない」「諦めるのも必要だと割り切る」ということに尽きる。

人が誰かに対してイライラするときというのは、だいたい決まって相手に期待しすぎているときである。そしてそういうときは相手に対して「なんでこう動いてくれない」「なんでこんな簡単なこともできない」という思考になってしまっていると気づいた。だからそれを捨てるようにした。

他人なのだから、相手がどう動くかなんて自分にコントロールできるはずがないし、その権利もない。(昔の自分も含め、他人の行動をコントロール「できる」と無自覚に思ってしまっている人は意外に多いと感じるが)

また、自分にとって簡単でも、相手にとっては極めて難しいことなんて多々ある。その逆も然りである。

たとえば、自分は午前中に起きたり、パソコンを操作したりするのが苦手だが、中村さんにとっては違う。午前中に用事があれば当たり前に起きるだろうし、中村さんにとってはパソコンの操作など呼吸するかのように簡単なことだ。

対して中村さんは電話をかけるのがとにかく苦手だ。かかってきた電話に出るのはなんの問題もないのだが、自分からかけるというのは尋常でないストレスを感じるらしい。メールの文章を考えたりするのも得意じゃない。しかし自分にとっては電話もメールも、別になんの苦でもない。

そこで奈良ミュージックデザインでは、「できる人がやればいい」という考え方を徹底している。苦手なことを克服するというのは、本人がそれを望んでいるならまだしも、人から強制されてできるようなものではないし、効率が悪すぎる。

たとえば中村さんに「〇〇さんにあの件で電話しといて」と言ったら心の準備に1時間ぐらいかかる。自分がかけた方が圧倒的に早い。

それと同じように、自分に午前中に起きることを期待するのははっきり言って無駄である。何と言われようと無理なものは無理なのだから、そこに無意味な労力をさくことをやめて、午前中に予定を入れないような工夫を会社としてやっていけばいいだけだ。

このように、お互いに得意なことはもちろん最大限努力していけばいいと思うが、「できないことに関しては無理をしない」というのもまた、長く活動を継続する上では極めて重要なことだと気づいた。

人間、向いていないことを頑張るというのは、想像以上にものすごいストレスがかかっていると感じる。自分がやるしかないような状況ならまだしも、他にできる人がいるならその人に任せた方がいいに決まっている。

報われない努力ははっきり言って時間の無駄だし、人間はストレスを抱えていると他のところでのパフォーマンスも著しく落ちてしまう。適度な緊張感と向上心は必要だが、ストレスはないに越したことはない。

同じ理由で、人間関係にも「無理はしない」をかなり徹底するようになった。どういうことかというと、ストレスがかかるような人間関係をできるだけ避けている。

活動を続けていると、本当にいろんな人と出会う。もちろんほとんど(99%以上!)良い人たちなのだが、中にはごくごく稀に、付き合うと疲弊するような人もいる。理由はマウンティングだったり、仕事に対する考え方が違ったりと様々だが、人間だから全ての人たちと仲良くするなんてお互いに不可能である。どうしても合わない人というのはいる。

そういう人はだいたい最初の印象で決まっているのだが、それでもいろんなしがらみで、今までは付き合いを続けなくてはいけなかった人たちとも、最近は極力距離を取るようにしている。

どういうことかというと「誰しもに好かれようとする」努力を捨てた。それは無駄な努力であり、無駄なエネルギーを消費してしまう。

無駄なエネルギーを使うと無駄なストレスがたまる。ひいては奈良ミュージックデザインの活動の寿命を縮めることになり、本気で応援してくれている人たちにも申し訳ない結果になってしまうと感じるからだ。

それは言いかえれば「エネルギーを使う場所を厳選する」ということである。

人のエネルギーは有限なので、何かにエネルギーを使えば、他のところに使えるエネルギーは必ず減ってしまう。さらに言うなら、苦手なことほどエネルギーの消費量は大きい。

苦手なことを頑張れば頑張るほど、その分もっと結果を出せるはずの他のところは少なからず疎かになってしまうのだ。それは仕方のないことだと思うが、そのことに気づいてからは、自分も中村さんも、限られたエネルギーをどう使うべきなのかを常に考えて動くようになった。

自分たちはそこまで器用ではないし、何に対しても全力投球ではあまりにも効率が悪いので、できるだけ「得意なこと」「楽しいこと」「やりがいがあること」だけに集中しようという共通認識で、これからも奈良ミュージックデザインの活動を頑張っていこうと思っている。

不得意なことを無理やり頑張ってみたり、どうしようもないことで無意味に神経をすり減らしたり、無駄なエネルギーを使えるほど、人生はきっと長くない。

ならば自分たちはその時間と労力を使って「どうすれば、ぴよっきーず会員の皆さんが楽しんでくれるか」をもっと考えていきたいし、その方が1万倍楽しい(笑)

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

写真は2016年の春、奈良ミュージックデザインを作った直後に当時の事務所の入り口を撮影したものです。懐かしい・・・

2016年春の奈良ミュージックデザインの事務所風景

2 件のコメント

  • 晋ちゃんの言ってる事…よ〜くわかります。
    衝突しながらも、目指す目標が同じだから分かりあえる。文句の言いあいじゃなく、意見の言いあいは向上や成長に繋がると思います。
    とても参考になります。

    • 目標は常に同じだし、お互い真剣なので、今となっては全部必要な衝突だったと懐かしいです!

      最近は衝突というよりも、ひたすら話し合うので気づいたら3時間ぐらい経ってたってことが多いですが笑

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