[公開記事] 2021.11.17(水)ナラクロ振り返り

11月13日(土)、平城宮跡歴史公園の朱雀門ひろばにて、「NARA CROSSOVER 2021」を開催させていただきました。

皆さまのおかげで、久しぶりに心からワクワクする夢のような時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。

早いもので、ナラクロが終わって、気づけば4日経ってました。

2017年から2020年まで毎年春に開催していた100年会館コンサート(2020年は無観客)のときは、終わってから1週間ぐらいは疲労で動けなくなるのがお決まりだったのですが、今回は翌日(日曜)の夕方には起きました。

日曜はそのまま平城宮跡とHARUHINOさんにご挨拶に行って、月曜にはStudio Solaで預かってもらっていた荷物を受け取りに行ったり、近鉄奈良駅に一日だけ設置されていたストリートピアノを弾きに行ったり、火曜にはある方に焼肉をご馳走になったり(打ち上げ的な?)、ぴよっきーずの限定配信ライブを行なうくらいには体力が回復していたので、このまま通常運転でいけるかなと思ったのも束の間、今日になって気が抜けたのか一気に疲労の波が来ています。

今日は夕方から事務所に出てきたはいいものの、ご飯を買いに行く体力もなくてぼーっとしていたらある方から差し入れをいただいたのですが、荷物の整理が全くできていなくて机が爆発状態なので、床に段ボールをしいて、その上で食べました笑

でもいつまでもレポートをしないままでいたら記憶も薄れてしまうし、各SNSで大勢の方がイベントの感想を書いてくれている中、主催の僕が何も書かないわけにはいかないので、事務所の片付けがてらに、そろそろ書いていきたいと思います。(・・・と軽い気持ちで書き始めたら最終的に5時間かかりました笑)

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そもそもなぜこのイベントを主催するにいたったのかについては、ナラクロ専用サイトの「主催者の想い」にて書いておりますので、ぜひそちらを読んでいただければと思います。そこに書いてあることが全てです。

https://nara-music-design.com/naracrossover/

イベントの構想自体は去年の末頃からありました。親しい人たちに「来年はこういうことをやりたいと思っている」と打ち明けていく中で、革遊びHARUHINOさんが真っ先に「一緒にやろう」と手を挙げてくださいました。

また、三友商事株式会社さんから、「コロナで大変だろうけど、なんとか活動を続けて欲しいから」と、本当に身に余るスポンサー契約のお話をいただいたのもこの頃でした。

去年末から今日までの1年弱の間、先日のナラクロ開催にいたるまで、なんとか活動を継続してこられたのは、ひとえにスポンサーの方々のお支えがあってのことでした。

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そして、ナラクロが具体的に動き出したのは、今年の3月か4月頃のことでした。

その時点で委員会メンバーが全員空けられることが確実にわかっている土日が11月13日のみだったので、まず日にちが決まりました。

日にちが決まってすぐ「まだ場所も内容も何も決まっていないけど、とにかくこの日空けておいてください」と、各出演者や舞台関係者の方たちにご連絡しました。

今思えば、何も詳細が決まっていない中でよく引き受けてくださったと感謝しかありません。

コロナが猛威を振るっていたので、三密回避や換気の面で、とにかく野外でのイベントにこだわりました。

親しい仲間で委員会を立ち上げ、奈良公園、ロートスタジアム、お寺や学校など、いろんな場所を検討したのですが、奈良を代表するような場所で、世界遺産でもある「平城宮跡」で開催する方向で話を進めてみようということに話がまとまりました。

仲間内で勝手にそんな話にまとまったものの、具体的に何から始めたらいいのかさっぱりわからない状況でした。でもじっとしていたら何も始まらないことは明白だったので、「当たって砕けろ」の覚悟で平城宮跡に電話してみました。

すると電話に出てくださったYさんという方がたまたま僕のことを知ってくださっていて、「責任者のNさんと、Hさんをご紹介しますので、一度事務所に来てください」と言ってくださいました。

平城宮跡の管理事務所に伺って、イベント開催への思いを打ち明けると、「個人で朱雀門ひろばを借りられるというのは前例がないことなので、どこまでできるかわかりませんが、なんとか実現に向けて一緒に動いてみましょう」と、本当に心強いお言葉をいただきました。

あのときYさんがたまたま電話に出てくださっていなかったら、こんなにスムーズに話が進んだだろうか、と今でも思います。

同時に、文化庁のARTS for the future!(AFF)という補助金にも申請をしてみることにしました。採択されれば経費がほぼ全額出るというもので、コロナで大勢の人を集めることが難しい中、普通にイベントをやっても確実に赤字なので、大変ありがたい補助金でした。

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これで実現に向けて一歩動き出したと喜んだのも束の間、再びやってきた「感染拡大」という波に僕自身が完全に飲まれ、全く前に進めなくなってしまいました。

あんなに心強いお言葉をいただいたのに、平城宮跡や委員会メンバーになんの連絡もせずに、気づけば3ヶ月ほどが過ぎていました。今思い返しても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな中でも配信ライブをしたり、毎月のラジオがあったり、ボイトレに通ったりと、音楽自体を全くやめていたわけではないのですが、モチベーションが下がりに下がっていて、気持ち的にはかなりの暗黒期でした。

「主催者の想い」でも書いた「いっそのこと音楽をやめて他の仕事を」と考えていたのもこの頃でした。

そして割と本気で他の仕事を検討し始めていたまさにその頃、AFFから「採択通知」が来ました。AFFのことは正直忘れかけていました。

気持ち的に暗黒時代の真っ只中だった僕にとって、この知らせは「ただの補助金の採択通知」ではありませんでした。

「採択を受けたからには、やらねばならぬ」という使命感に近いようなものが湧き上がってきて、止まっていた時計が動き始めたような衝撃がありました。

「まだ音楽を続けなさい」と言われているような感覚でした。

あのとき届いたのがもしも不採択通知だったらと考えると、今考えても恐ろしいです。(本当に音楽をやめてしまっていた可能性が少なからずあります)

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そこからは怒涛の勢いで動き始めました。

こちらから無理なお願いに伺っておいて、3ヶ月も音沙汰なしだったのだから、断られても仕方がないという覚悟で平城宮跡に再び連絡したのですが、「お待ちしておりました」とあたたかすぎるお返事をいただいたとき、本当に涙が出そうでした。

僕の中の時計が再び動き始めたとき、イベントまではすでに3ヶ月を切っていました。まずは平城宮跡の使用許可を正式にいただくところから始めなければなりませんでした。かなりギリギリのタイミングでした。

平城宮跡は世界遺産なので、場所によって管轄が文化庁だったり、国土交通省だったり、奈良県だったりとかなり細かく分けられていて、何をどこに申請すればいいのか、かなり骨が折れる作業だったのですが、事務所の方たちが大変親身になって助けてくださいました。

また、Studio Solaのことを書かずにはいられません。オーナーの山崎さんを始め、Solaの皆さんがスタッフリーダーとして、会場の一切合切を全て引き受けてくださったおかげで、僕はステージ上のことだけに集中することができました。奈良ミュージックデザイン始まって以来のあれだけ大規模なイベントで、事故や大きなトラブルが何も起こらなかったのはひとえにStudio Solaのおかげです。

そこから内容を固めて、リハーサルの段取りをしたり、関係各所や自治会連合とミーティングを重ねたり、プレスリリースを出したり、コロナ対策に関して協議したり、当日トラブルが起きないように色々と必要なことを詰めていたら、本番まではあっという間でした。

今まで主催のコンサートといえば、ホールやスタジオなど、ちゃんと手続きして利用料を払えば基本的には誰でも借りられる「プライベートな空間」で行なってきた経験しかありませんでしたが、平城宮跡のような「公の場所」でイベントを開催するのは今回が初めてでした。

なので近隣の駐車場への不法駐車の問題が絶対に起こらないよう、警備会社の方を手配したり、今まで考えもしなかったようなことが準備段階でいくつか必要になりました。これらはかなり勉強になりました。

そしてさまざまな許可関係が最終的に全て揃ったのは、イベントの3週間前でした。そこからようやく告知開始なので、チケットが売れるかという不安もありましたが、おかげさまでソールドアウトの状態で当日を迎えることができました。

主催イベントが「完売御礼」なんて久しぶりでした。

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ここからは余談ですが、先ほど述べた「時計が動き始めた」とき、真っ先に行なったのは、平城宮跡の管理事務所に再びご連絡することと、イベントのタイトルを考えることでした。

タイトルは委員会メンバーに案を出し合ってもらって、最終的には投票で決めました。

「大和歌祭」「まほろば音楽祭」など、さまざまな案があったのですが、結果的に、2016年に発足させたイベント「NARA CROSSOVER」の名前を引き継ぐことになりました。

個人的には、結果的にこのタイトルになって本当に良かったと思っています。

というのも、2016年の春、東京から奈良に帰ってきた当初から、これだけは実現したいという目標が2つありました。

1つは奈良県最大のホール、なら100年会館でコンサートを開催すること。もう1つはメイドイン奈良にとことんこだわった音楽祭を開催することでした。

そして春はコンサート・秋は音楽祭という二本の柱で事業を継続させていくことが、奈良ミュージックデザインが最終的に目指すべき夢です。これはこの5年半の間、全くぶれていません。

1つ目の目標は、いろんな方たちの応援のおかげで意外と早く実現させていただくことができたのですが(もちろんまだ一階席しか満席にできていないので、二階席・三階席と、これから更に高みを目指していきます)、2つ目の目標がなかなか大変でした。

主催者である僕自身の知名度が圧倒的に足りていない状況で、何ができるのかという試行錯誤を毎年繰り返していました。

そんな中、最初のナラクロを2016年に立ち上げて以来、実はこれまで3度にわたって開催してきて、もちろんそれぞれに楽しい思い出もたくさんあるのですが、主催者としては自分の力不足を思い知らされて、苦い経験として残っていました。

それらの経験や、コロナ禍での苦悩、その中で見出したたくさんの人たちとの心の繋がりを経て、今回のナラクロは本当に全てが理想の形に行き着きました。

「今までの試行錯誤はこのためにあったのか」と心から納得することができました。

ようやく、ほんの少しだけ「【100年会館でのコンサート】と【ナラクロ】が、僕の活動の二本柱です」と言えるようになったかな、と感じています。

5年半かかりましたが、ここからがスタートラインです。

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開催までの道のりをここまで書いていたらかなり疲れたので(笑)、当日の模様は写真でお楽しみいただければと思います。

もしくは #ナラクロ でTwitter検索していただくと本当に大勢の方が感想を書いてくださっています。

有料配信も12月31日までアーカイブをご覧いただけますので、ぜひそちらもご覧ください。(配信の特典として、おまけの舞台裏映像もあります)

https://piyockey.thebase.in/

今回のナラクロは、コロナがちょうど少し落ち着いているタイミングだったこと、当日晴れたこと(特にストリングスの楽器は濡れたら一発アウトなので、一滴の雨も許されない状況でした)、風もそんなに強くなかったことなど、いろんな幸運がありました。

これらは自分たちの力ではどうすることもできないことなので、大袈裟ではなく、天からのプレゼントだったと感じています。

これからイベントを続けていくにあたって、このような全ての条件が整った中で開催できるのは今回限りと考えています。雨問題について、そして運営資金の問題について、真剣に取り組まなければいけない問題が山積しています。

なので現時点では、「また来年もやります」と確約することはできません。

ですが、僕自身がワクワクを完全に取り戻した以上、実現に向けてこの一年、また全力で取り組むことだけはお約束します。

開催前に色々と相談に乗ってくださっていたある方(奈良で20年以上続くイベントを主催されている方です)から「10年続くイベントは少ない。イベントは10年続いたらようやく地域に認知される。そうなってくれることを期待している」と力強い応援メッセージをいただきました。

色々と形は変えていくかもしれませんが、10年続けていけるように、これからもワクワクし続けていきたいと思っています。

そして何より、今回大勢の方からいただいたワクワクに対して、今後の音楽活動を通して少しでも恩返ししていけるように、これからも精進していきたいと思います。

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最後になりましたが、

この1年間、生活を支えてくださった三友商事株式会社の大門社長。

どんな時も見捨てずに側にいてくださっている革遊びHARUHINOの辻之所さん。

とことん無茶を聞いてくださった平城宮跡のNさん、Hさん、Yさん。

企画段階から親身に相談に乗ってくださっていたM森さん、U谷さん、Y口さん。

いつも希望を全て叶えてくださる合同会社ASABAの浅羽さんとチームの皆さま。

今回のナラクロが成功した要の存在、Studio Solaの山崎さんとチームの皆さま。

準備段階から一年弱にわたっていろんなことを一緒に悩んでくれた委員会メンバーの皆さま。

忙しい中を当日駆けつけて助けてくれたO本くん、M井くん、Pちゃん。

この日のために東京から帰ってきて配信や舞台裏映像を手伝ってくれたK新くん。

イベントの度いつも素敵な写真を撮ってくれるケイスタジオのN村さん。

直前のお願いにもかかわらず告知してくださった毎日新聞のS路さん。

圧倒的なエンターテイナー性でいつも刺激とワクワクをくれる吉野くん。

キャッチなーメロディと類い稀なる継続力で尊敬してやまないミカズキン。

直前に作った新曲を見事な表現力と美声で彩ってくれた西松さん。

安定感のあるMCと存在感でいつも安心させてくれる北山さん。

無茶な日程で本当に素晴らしいアレンジをしてくれた農澤くん。

滅多に経験できない豪華な演奏で華を添えてくださったストリングスメンバーの皆さま。

クラシックもポップスも弾ける貴重なピアニストで頼れる後輩の矢野さん。

企画段階から色々と相談に乗ってくれて、一緒に夢を語り合った山本くん。

華やかなサウンドでイベントを盛り上げてくれたバンドメンバーの皆さま。

出会いから18年間、師匠としてずっと心の寄りどころであり続けてくださっているみつるさん。

陽気で軽快な演奏で野外の寒さを忘れさせてくれたいちもとみつるUNITの皆さま。

そしてナラクロにご来場くださった皆さま。配信をご覧くださった皆さま。さまざまな形でイベントを応援してくださった皆さま。

ナラクロに関わってくださった全ての皆さま。

本当にありがとうございました!

 

4 件のコメント

  • 読んでいて、思わず涙がでました。コロナ禍のなか、本当に大変な想いをなさっていたんですね。
    氷置晋さんを知ったのは、推しのミカズキンとの月一度の合同ライブ鹿月の会でした。
    クラシックコンサートまで出てしまえるような圧倒的な歌唱力、オリジナルソング「枕詞」に代表される歌詞の美しさ、本格的なピアノの腕前。
    尊敬さえ覚える音楽性をもつ晋さんが、その音楽を辞めてしまおうと思いつめていたなんて。
    今回のライブは、美しい文化財 平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろばで行われて、アーティストのクォリティーも驚くほど高く感動しました。
    実現までの道のりは大変だったと思います。感謝します。
    さて、このまま書き進むとキリがないので、改めてフェイスブックにあげるとして、このへんで。
    本当にありがとう😉👍️🎶ございました。

    • 氷置さん、関係者の方々本当にお疲れ様でした。かなり前から準備され本当に大変ですね。皆様の努力が感動的なステージを作り上げたんですね。お天気にも恵まれ本当に素敵なステージでした。音楽て素晴らしいなと思いました。コロナ禍の今だからこそ、ワクワクドキドキは大切だと思います。今後のご活躍にも期待しています。ありがとうございました。

  • 今回は配信で観ましたが、ここに至るまでに晋ちゃんが元気がない時期、それでもボイトレに力を注いで着実に実力を増して行く様子をファンの一人として見ていたので、この文章が胸に迫ります。

    この文章と写真をまとめた限定写真集的な物を予約販売とか出来たら良いなぁ。
    当日、現地に伺えなかったファンの声の一つです(現地で観た方も感動の思い出になるのでは?)

    まずは、しっかり休んで元気を取り戻して下さいね💐

  • 楽しかったです。本格的準備に入る前に、行く末を案じ、弱気になっていたとのこと またそれを乗り越えられて 得た大きな経験値。それはさておき、今回のそれぞれのステージ、各々が映えていました。ミカさん、吉野さんをはじめ、キャストの方々の歌声、演奏が 最初は不安を乗せて始まり ステージ中に、心意気とやんわりと調和しながら、エネルギーが一つの方向へ向ってきました。そして、3部目終了時には、みつるさんの技量と馬力で、氷置さんの達成感が出演者のみならず、観客に乗り移っていたように感じれました。これから、一つ 小さな一つでも このイベントを成し遂げた苦悩に引けを取らない、負けないエンタメエネルギー、それが観客の納得感を増していくのだろうと感じます。中村さんの支持力も相当だなと思いました。

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